「文法」は楽しい「英語攻略本」
「文法」ということば。きくだけで嫌な感じになるひとがいると思います。「文の法律?」。「法」には「掟」とかそんな「押し付けられる」ような響きがあります。
ほんとうは楽しいものなのに、「法」ということばで損しているのかも知れません。
文法は楽しいです。ゲームで言えば「攻略本」です。使わないともったいない。
楽しい文法を、お教えします。
コラム;「文法って?」
「文法」ということば、なんだか堅いですね。でも、グラマー(grammar)ということばはどうでしょう。「法」の意味なんてないですよ。もともとは、「graph」ということばなんかでわかるように「粘土板や石版に刻む」「書いたもの」という意味です。音のよく似たことばで「glamour」というのがあります。これは100年ちょっと前に作られたことばで、grammarに似せてつくったそうです。なぜでしょう?
それは、grammarには「魅惑的な意味」があったからです。でも、なぜ「文法」が「魅惑的」?
中世、多くの人が文字が読めない時代、文字が読める人がなにやら模様みたいなもの(文字のこと)を読み上げる姿が、文盲の一般人には不思議で、魔術のように見えたそうです。grammarということばにはそんなセンスが隠れているようです。その気持ち、わかりますよね。
西洋人の目には、漢字を読む私たちが魔術師のように見えるかもしれません。英文法を理解しない人の目には、英文法を理解するひとが魔術師に見えたり、「仮定法過去完了」なんていうことばが呪文のように聞こえるかもしれません。
文法って、ほんとうは魅力的なものなのに、「文法」という名前で損してしまっているところもあるのかも知れません。
「文法は地図」の記号です。
自分の街の地図をみるとき、それは既知の事実の確認。見ながら「あっ、そうそう」などと地図を眺めます。
知らない街の地図をみるとき、それは想像。地図をたよりに頭の中にその街の実体を思い描くものです。地図の見方がわからないと、それができません。
言語も同じ。英語で書かれたことを理解したいとき、文法をたよりに英文を読み解きます。
文法がわからないひとたちにとって、その解読は魔術のように見えるかも知れません。grammarは魔法のような憧れの対象になるはずのものです。glamourのように。
自由に魔法を使えるような魔法使いとして生まれなかったのだから(Native speakerではないのだから)、せめて手品をおぼえたい。文法の本は、手品の手引書のはずです。
まやかしの魔術師は、「非能格動詞」とか「関係代名詞の制限用法」などと、呪文のようなことばで民衆をまやかして、自分の偉大さを示そうとします。用語は難しいほど、またわかりやすい解説をしないほうが偉大さを示しやすい。
そんなのにまやかされずに、自分で手引書を開けば、
きっとハンカチから鳩を出すことができるようになりますよ。
その手引書は、きっとたのしく、想像しているよりも簡単なんです。
奥も深いけですけどね。